最近、これまでの事を聞かれることが多くなったので、色々振り返りつつこちらに辻正浩のプロフィール詳細をまとめました。
詳細は今後、リンク先に書こうと思います。
Decadeでの自己紹介
自分の10年史プレゼン資料のようなもの、Decadeでまとめてみました。
テキストでの自己紹介
1974年8月17日、帯広生まれ。
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九州の久留米で幼稚園、北海道の倶知安で幼稚園から小学校2年。
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小学校2年で札幌へ。喘息に苦しみだしたころ。
小学生の4年を札幌で。持病の喘息とアトピーがひどくなり始めた頃。
病気がちで、あんまり外では遊ばず、本の虫になっていました。
ファミコンを発売日に買ってもらった事、兄のパソコンを借りてベーマガでBASICを勉強した事とかは、やはりこれがなければ、早々にネットを使い出すことも、今のような仕事をしていることもなかったんだろうなあ、と最近になって思います。
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小学校卒業と同時に函館へ。
中学生の3年間を函館で過ごしつつ、喘息とアトピーとその他の病気で入退院を繰り返していた頃。
特に中学1年後半から中学2年は、週に2-3日しか学校に行かない生活でした。
この頃、医者に「二十歳まで生きられないからそのつもりで生活をしたほうが良い」と言われたり、色々な中学生のときに普通はする経験ができなかった事は、いろんなことに影響しているように思います。まぁ、悪いことばかりじゃないと思いますが。
その後、中学3年生の後半には良い病院に出会ったのもあり、普通の生活が送れるように。
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高校生
高校1年から札幌に戻って、札幌藻岩高校に入学。放送局に入部して、部活で3年間を過ごしました。
6分程度のラジオ番組やテレビ番組を作ってはコンテストに出すような部活だったのですが、毎年全国大会へ行くような強い高校でした。
それは顧問の先生がとても優れていたからなのですが。その先生に指導されて、文化系とは思えないようなヘビーな活動をしていました。「原稿用紙100枚、明後日まで」とかやってましたが、そんなの今でもやりたくないなぁ。
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大学生
札幌の私大、北星学園大学に入学。心理学専攻。
某放送局の報道、映像取材でのアルバイトに精を出しつつ、高校時代の仲間と自主制作映画を作ったりしていました。
自主制作映画の著作権で失敗して3桁万な借金を背負ったり、緊急報道の現場から帰れず定期試験を全部飛ばしたり(当然留年)したのは良い思い出・・・にしては、いまだに悪夢に見るけど。
結局、自主制作映画ではたくさん受賞したけれども、後に繋がることは無くて、普通に就職活動を開始することになるのですが。
そんな中、大学1年のときにパソコンとモデムを購入して、最初はNiftyServe、徐々に草の根BBSを使い始めて、96-97年頃からはインターネットと、ネットを早めに使い始めたのが私の今後の人生を左右したなぁ。このときにネットを使っていなかったら、私の人生がどうだったのかまったく見当もつきません。
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就職活動
地元のマスコミを中心に受けるものの、色々あって結局全滅。
マスコミ以外で一社だけ受けていた、家庭用ゲームの卸売を中心に営業する会社から内定を頂き、就職浪人なんて考えられないご時勢、そこへ就職することに。
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営業としての4年間
2年間東京で、2年間仙台で営業として働きました。
ルート9割、新規1割で家庭用ゲームを小売店に卸すための営業。4年の間に主に売っていた物はN64からゲームキューブへ、GBブロスからGBカラー、GBAへと変わり、PSが隆盛を極め、セガサターンからドリームキャストへ、XBoxが発売などと動く中、必死で家庭用ゲームやDVD、カードゲームなどを小売店に卸す営業を続けていました。
卸売問屋のルート商売は、売りすぎてしまったら在庫過多になって次の納入枠も信用も失うので、とにかく適切な提案を続けるのが大切です。商品知識を身につけて適切な売れる量の予想をしていく事や、お客様とお客様のお客様の動きを考えて、適切な売り場を提案して、その中で自社商品の存在感を高める、そんな仕事だったと思っています。結局、必要なことはマーケティングの視点だったと今になって思います。
時々の新規や、数社の問屋が入っている大規模のお客様のシェア争いなどのいわゆる営業も経験して、4年経つ頃には、ゲーム業界の営業として生きていけるか、と思っていた頃、以前の恩師から誘われて、広告業界に転職をすることに。
この頃は、どうしても「くりえいてぃぶなしごとがしたい!」とか思っていたんですよねぇ。結局、営業の仕事も同じくらいにクリエイティブでしたが。
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札幌の広告業界で5年間
常識はずれな5年間。
最初に入った会社は1年で解散して、間借りで仕事を始めたと思ったら、新会社立ち上げに参加して、子会社になり、社名と事業が変わり、また解散をして、お客様の会社に移籍して、仲間で新会社を立ち上げ、と。そう書くと1行ですが、もう書ききれないほどの出来事がありました。
その間に行った仕事は、テレビ番組やVP、テレビ中継技術、脚本書き、CM制作、ネット放送局運営、ネット中継、チラシ制作、広告営業、イベント運営、Web関係を営業から制作、SEM等一通り。前半は映像関連4割・Web4割・他2割で、後半はWeb7割・他3割という感じで、だんだんとWebに集中していくことになります。
無茶な流れの中であまり眠らずに働き続けて、無茶な量の仕事を行えたおかげで、無茶な量の経験を積むことができたと思っています。
札幌での無茶な仕事が、やっと最後の1年は色々と整理されてきて常識的になってくると、だんだんと東京で働きたい、と思うようになってきまして、色々と迷惑をかけつつ仕事を整理して東京へ。
ただ、この5年の中には大勢の人に迷惑もかけてしまいましたので、その恩返しはいつか必ずしたい、とずっと思っています。
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東京のSEM会社へ
32歳で東京に出てきて、SEM専業の広告代理店に転職、SEOコンサルタントとして働き出しました。
SEOコンサルティングは、SEOの知識は当然の事、Web関連全般の知識が必要になることが多いです。札幌での無茶な経験のおかげで、Web関連の広い知識と経験がありましたので、早くに良い仕事が出来るようになれたと思います。
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フリーランスのSEO
2011年10月、37歳でフリーランスのSEO(Search Engine Optimimizer)として活動を開始しました。
